O.S.C.A DROMOS 今…2002年現在
発表当時、すでに2年を経過していますが 私どもにメールをいただいた多くの方々の声を読み返すに付け 現在の状況を 残念に思っているのは私だけではないと思います。
当初の予定通りであれば 2000年春には販売を開始していたはずなのですが
度重なる販売延期の理由ははっきりしないまま、今日にいたっております。
私どもがホームページからDROMOSを削除しないのは、今もって製造元からは販売の意思が有るからに他ありません。
日々の会話の中にも良く出てきます。
それなのになぜ、開発、製造が止まってしまったのか多くの方が不審に思っている事と思います。
答えは3つ 有ります。
一つ目は 資金問題。
社会的な変化もありますが1台の車を作り続けていくには 膨大な資金が必要です。それを確保していくのが困難になる事は ある程度、予測はできた事です。 開発までは担当者の情熱で持ちこたえていましたが製造までには至らなかった背景には販社、製造元共にこの事が大きいのは事実でしょう。
二つ目に事業計画の甘さも有ります。
もともと 前身である ZAGATO時代から当初の計画通り製造販売した車といえばアルファロメオSZぐらいではないでしょうか。
RZにせよ、ハイエナザガート、アルファ155TIザガート、すべて当初の予定製造台数を大きく下回っています。
確固たる販売網を持たず(これには理由もあります販売網を整備するには製造能力が低すぎて代理店契約を結びづらい)
販売予測がしづらい為、資金調達が円滑に行かない。
それと同時にベース車両の開発スケジュールを把握していない為、部品調達も後手に回るケースが多い。
今回のDROMOSにしてもベースエンジンの富士重工製2.5L NAエンジンもいざ立ち上げようとしたら、3.0Lにモデルチェンジしてしまい再度の開発が必要となるなどこちらの思惑とはづれてしまいました。
車の性格上、単に積み替える事もできず、さりとて再度3.0Lエンジン搭載モデルを開発する余力もないのが現状です。
もちろん2.5Lエンジンは今でも調達できるでしょうが、当初の富士重工との取り決めなどもあり、(契約不履行である事は確かです)
コストの面での協力でもうまくいかないことが予測できると思います。
三つ目にビジネスとしての意識の欠落が、開発側にも製造側にもあります。
ヨーロッパにおいては、一部特権階級の人たちの為だけに 車を造るという事が良くあります。また実際に販売に至らなくとも プロトタイプ車を発表する事でデザインやコンセプトなどで業界のオピニオンリーダーになれば面目が立つという事も有ります。
確かにDROMOSは市販車としては画期的なものですが、すでにその車を開発できた事だけで デザイナーの仕事は終わったとも考えられます。これから開発が始まる幾つかの車に少なからず影響を与えたであろう事実だけで十分なのかもしれません。
今まで書いてきた事は 私が現在まで接してきて感じた感想にすぎませんが、私の所にメールや問い合わせをいただいた多くの方すべてが 特権階級の方々ばかりではありません。
多くの方はただ純粋なスポーツカーにあこがれ、またデザイナーであるスパダ氏の情熱と思想を肌で感じたかった方々と思っております。そういった方々の期待に現在添えていない事は事実です。このことは販売店である私にとっても辛い事ですしまた、残念でたまりません。
実際にその車をドライヴィングした事のある者として 充分市販できる状態である事は分かっています。(一部冷却の問題もありましたが解決したと聞いております。)今でも販売される可能性も残っているだけに なんとかこぎつけたいと考えています。
その為には まず開発した当初の2.5Lエンジンのまま熟成をはかり販売計画を立てる事が得策と考えます。
確かに6気筒エンジンには魅力がありますが DROMOSには4気筒エンジンで良いと考えます。当初のコンセプト通り軽量化と理想的な重量バランスを追い求める方が先でしょう。
更にある程度の予約を取り 製造計画並びに資金計画を、綿密に立てるべきです。
そうでないと、どこの金融機関でも商社でもこれ以上、話が進まないと思います。
皆さんのご意見をお待ちしております。
尚、今後DROMOSに関してのご意見ご要望は 当社のBBSに書き込みをお願い致します。
広くOPENな状態で話し合うべきでしょう。(製造元の方も見ている事をお忘れなく!)
オートライフ 清水 秀平
※この記事は1999年~2002年までのHPに記載した内容をUPしたものです。
2000.10.22(SUN) 情熱、興奮、弧高 体感!イタリア
はるばる兵庫県の山奥まで行ってきました。
トップアシストさんが、チャオイタに、出店するというので便乗で、当社も小物を展示,販売させていただいた訳です。
やはり、関西は熱い!(私は15年程前に大阪に住んでいました。) ブースの前に展示したOSCA DromosとBazza-bに集まった人たちもビックリしていたようで、
「これ、本物?」とか「おたくらなにもん?」とか言われましたが 皆さん実車を見て触って納得してました。 当日最も、目立った車の一台でしょう!
レースの方はあまり見られませんでしたが、楽しい一日でした。 清水
トップアシストさんのブース
当社の名前も入れてくれました。
ファミリー走行会を待つ皆さん
もちろん、イタ車ばっかり!
当日、サーキット内で結婚式も
とり行われました なんで?
サーキットには欠かせません。
Bazza-Bの前で…寒そうです。
デルタだけでレース!
結構みんな飛ばすなぁ
表彰式とじゃんけん大会
やっぱり、注目の的でした。
いつ見てもカッコイイ車だ!
なぜか マセラーティが少ない。
貴重な一台。
ひとつ思ったのは、イタ車の祭典なのにマセラーティが極端に少ないこと。
西日本のマセラーティオーナーがんばれ! それだけが淋しかった。
メラクやボーラはともかく、シャマルの一台ぐらい出ていても良さそうなものなのに私が確認した限りでは、上の写真のギブリカップとカリフが一台出ていただけ。
心当たりがある方はぜひ私に教えてください。 それと商売柄、ZAGATO車がSZだけだったように思うけれど、これもまた淋しい。
フェラーリ、アルファロメオ、ランチア デルタだけがイタ車じゃないのにね!
ともかくブースにはイタリア料理店もたくさん在ったのに、食堂でラーメンとおにぎりばかり食べていた私に云う資格は無いかもしれないけど…。
ともかく、トップアシストさん、お疲れ様、そしてありがとうございました。
第二回 珠玉展 AKHAL TEKE の報告
AZZA-B NUVOLA ARGENTEA 披露会
主催 O.S.C.A TOURING GROUP及び S.I.A.C ㈱
開催日時 平成12年9月14日
場所 横浜エクセレントコースト
時間 PM6:00~PM9:30
プログラム
ビュッフェサービス
BAZZA-B NUVOLA ARGENTEA
プレゼンテーション
AKHAL TEKE ライブ
当日は、関係者主体のイベントの為、一般のお客様を少数の方しか、お呼びできず申し訳ございませんでした。
ご来場いただけなかった方々に、雰囲気だけでもお伝えできればと思います。
1階ロビーで行われた、展示会
もちろん、Dromos も展示されました。
ゲストの堺氏と飛び入り参加のかまやつ氏
絶妙なトークで会場を盛り上げて
いた藤田氏と堺氏
初代OSCA Tipo Mt4 1100(1350) 1948年~1950年
見事にレストアされた内装?
ライブ演奏
ポップス、ソウル中心の曲目。
伊東 洋氏作の記念品、BAZZA-Bをイメージしたクリップ入れ
来場者全員に配られました。